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昨日まる一日横になっていたお陰で、今日は大分楽です。
やらねばならない事を色々片付けねば…と一日の計画を立てています。
無理はしない範囲で。するとまたすぐ風邪ってぶり返しますからね…!
皆様も風邪には本当にお気を付けください!

ところで、横になっていて暇だったからかボンヤリと考えていた絵の話。
無駄に長文ですので、興味のない方やお忙しい方はスルーで。


って、投稿後に文章見直して「あ、足りない!」「あ、勘違いを誘発する!」って部分を何度か補足してたからw、なんか…どうなんだろう。分かりづらい話のような気がしますが徒然に読み流してくださいw。


大した話ではないですがw、今結構使い分けをして描いているので、そのへんで自分の絵の描き方についてとか、絵に関してダラダラ・漠然と・漫然と考えてました。
一般的とか当たり前、という部分もあるんですが、そこを自分なりに「自分に沿って」考えてみたと。
良し悪しの問題でもなく、これが間違ってる!正しい最強! みたいな主張でもなく…徒然と。
徒然すぎるせいで、いくつかの問題が一緒くたで語っちゃってる気はしますが、ご容赦をば。

特にオチはありません。


描く対象によって絵柄、というかディフォルメ具合を変更する・使い分ける、というのは多くのかたが結構やると思うんですが。
少なくとも自分はそうなんですけど、そのせいかよく絵柄が多いと言われます。そして、仕事柄それは役立っています(女性向け、青年向け、子供向け、カット、などで使い分けできるんで…)。
しかし、それは単純に「そういうスキルとして使い分けるか」という意識の問題だと私は思っています(ある程度絵が描ければ、技術はなんとでもなる筈…)。
二次創作をしているとそのへん、如実に使い分けてるんだなと思うのですが…

厳密に言えば「ディフォルメの具合」だけで、「絵柄」そのものは変わっていないと私自身は思って居るんですがw、まぁ面倒だから『絵柄』でいいですかね。

で。
一次でも二次でも、多分使い分ける理由は同じで、
・その描き方が作品に向いている、合っているから
なんだと思います。

今年は特撮で活動再開したので、特撮(ニチアサ)を例にとってみると、
・戦隊→ディフォルメが強い
・ライダー→そこまで強くない、リアルめ?
こんな感じで基本描き分けしてることに、今回改めて気が付きました。

もちろん、ネタ(漫画)を描くときは別ですが、イラスト的なものになった時、この違いが結構現れます。
この描き分け・使い分けは、元作品の雰囲気や方向性(ギャグやコメディという意味ではなく)をひっくるめて選択されてるなぁと、当たり前ですが再認識しました。そして、描き分けを行う際の圧縮・解体方法が多少違うのかな、とも。記号性を強調したものにするかどうか、の違い?

絵に関して、特撮は実写で「似顔絵的」側面がありますが、あんまりリアルにしないという気持ちもあります(その方がキャラの印象で受け取りやすいし、描く自分も気楽なのでw)。
似顔絵的とはいっても、「そっくり」だと微妙なんですよね。似顔絵の基本はよく「2割、3割増」みたいに言いますけど、同人活動だと更に「似せなく」している気がします。
特徴を抽出して、「いいところを数倍に」「役と役者さんの印象を数倍に引き延ばす」的な。
結果的には「印象としてはそれっぽいけど、似ているかどうかあんまわかんない」(笑)くらいにしてる、ような気がします。

結果としては「あんま似てない」かもしれないんですが、上記の工程を経ているかどうかで描く時に自分がブレなくなります。髪型や服装的部分を抽出した記号化より、顔・体型を意識して描いたほうがシルエットや「アップにした状態」でも描き分け、とか。
絵そのものより、雰囲気とか、気分的な問題かもですが…

とはいえ自分がどこまで描き分け出来ているか客観的な部分はわかりませんw。一応、意識としてはそんな感じです。
これはいちおう、オリジナル(しのびキャラ)でも同様です。


「輪郭や配置はほぼ同じで、パーツや色で描き分ける」というパターンもありますね。
この方法の良いところは「キャラの外観を作りやすい・描きやすい」という部分かな、感じています。言い換えれば「他人にも描ける、描きやすさ」でもあり、「統一性を感じやすい・見やすさがある」という事にも結果的に繋がるような気がしています。
一方、弱点としては
「作者や、作者が好きな人以外には見分けづらい」(共通認識がないと見分けづらい)
「アップなどでの描き分けを、見ている側が認識しづらい」
あたりでしょうか。
更に言うと「キャラカテゴリー」で造形し、描き分ける場合が多いので、下手すると男女差がなくなる場合も有り得るかなと(もっと根本的な「絵の描き分け」や、描き手の気遣いの問題でもありますが。「これは●●だ!」という思いこみは超必要だけど、思いこみを伝達する識別描写は描き手の気遣いと思いやりのような気がしますw)。

このタイプの描き分けって、「その作品や絵に慣れてる」とか「漫画やイラストを見慣れていて、絵を見分ける能力が備わってる」とかがないと識別しにくい場合もありますよね。
視認性というか、ある種の「読み手のお約束」共通項目・確認事項が成立していないと、その絵を苦手(見分けるのが)な人には「全部同じに見え」てしまう。

最近はそうでもないですが、よく少女漫画とか言われてましたよね。髪型はちょっと違うけど、キャラクターが全員同じに見える、みたいな…(とはいえ、これって「個人的な文化的背景」に依ってるので、実は今のように少女漫画の絵柄が男女共に吸収されてる時代にはあんま関係ないかもしれませんが…)。その昔、私が少女漫画読めなかった最大の理由が、内容以前にこうした絵の問題だったのも確かです(苦笑)。


ところで、二次創作というか、「二次元内のお約束要素が強い絵」を自分の絵に置き換えるのが、私は根本的に苦手です。前述のような方法で造形・構築されてる場合も多いので、自分の中でどう置き換えていいのかよく分からないというか…;。
だからかもしれませんが、二十代前半までは二次創作的なものには興味を示しませんでした。
(もうひとつは、作者至上主義者であるので、自分の絵で描く意味がわからなかった…というのもあります。最近は「好きのアプローチ」として描いていいんだ、という意識をもてるようになったのですが…好きな物を自分の絵で描く=汚す!みたいな感覚がちょっと強いんですよねw。)

なんだけど、その頃にハマった3D格闘のお陰で、自分の中での「二次創作」(というか、自分の絵に置き換える作業)が少しだけ出来るようになりました。
好きだから、という部分だけではなくて、二次元のお手本がない3D格闘や実写である特撮のほうが「俄然、やりやすかった」んですね。

恐らく、どう落とし込むか、とか、どうやって造形していくか、みたいな「骨格レベルの解体・再構築」的な作業工程が好き、なんだろうなぁと思います。リアルな絵を描いてるわけでもないのに偉そうですがw、解体〜再構築っていう手順を踏まないと描けないんだと思います。
自分自身、空間把握能力の問題とか、絵の志向性の問題もあるし、もともと流行っぽい絵をサクサク描けるわけでもなく、要領も悪いほうなので、非常に手間取ります。絵が噛み合うまで、下手すると数年単位でかかるのも当然、になります。(特に、極度の腰痛を患い、その後手の怪我、腱鞘炎で集中して絵を描けない時期が続いたので、益々どうしていいかよくわからなくなった……という個人的な背景、肉体・精神的問題もありましたが…。しのびを「リハビリ」と称しているのはまさにその部分です)
こうやりたい、という意識や理想(と言っていいでしょうが)が、どこまで結果に反映出来ているのかは分かりません。が、一応、タイプとしてはそういう方法論を使う、に分類されるかなとw。


それこそが、却って自分の絵や造形(デザイン)の弱いところ、かもしれません(印象は違うけど、シルエットが似る可能性が高いので)。瞬発力の問題もあるし、漫画的・アニメ的な省略になぜか向かわなかったので、手間取ることが多いです。一時期「まんが絵イラスト」を一切描かなくなったのも、記号性の高い絵=更に記号性の高い絵(漫画絵系のイラストを飛び越えてwアート系?に向かったというのか…?)、へ興味が向かったからかもしれません。

どちら方向にも偏りすぎず、真ん中あたりをうまく抽出していくのが一番いいようにも思うんですよねー。片方を極める、という志向性が自分がないので(コウモリ体質w)、自分が面白いと思った方向でどんどん変わっていけたらいいし、それでも一本線、筋が通っている絵になればいいなぁと。
ああ、骨格的にもちゃんと線(筋)の通っているのが良いですw(デッサン的な意味じゃなくてw)。


しかし、随所に滲み出る「自分への異様な縛り」の多さが心底ドエムっぽいですねw。なんて無駄に戒律的なんだ!という…w。自分が自分をいちばん許容(容認)できないから崩壊しちゃってたんですよね。自分で容認しないで誰が認めるんだってね!w


以下はキャラ造形と絵の、しのびを突っ込んだ感じの話です。

先の話と重複しますが、私は「ひとつのものを取得するのに数年単位」罹ることが結構あるんですが(許容範囲になった、というだけで、決して出来ているとは思えないw)、「目の大きい女子」がまったく描けませんでした。
今でも目の大きい絵は苦手で、バランスがかなり難しいです。気を抜くと目の端が普通に「閉じ」て、眼球もちっちゃくなるんで…

たとえば都雲の造形は「自分的にチャレンジングな女子キャラ」なのですが、あの目のでかさや漫画的清楚系、睫の多さ(睫での描き分けは私の中になかった)、が挙げられます。どれも私がデザインで投入してこなかった要素です。こうした部分を投入したお陰で「自分のキャラなのに他人様が描きやすいらしい…!」という驚異的(笑)な結果に繋がっています…w。

しのびに関して言えば、こうした「それまで選択しなかった要素の摂取」を意識的に行っていますし、従来から確立したキャラ分類と自分なりのキャラ造形を意識的に組み合わせている部分は大きいです。与一、ニゴあたりは分かりやすい気がしますが…。
与一は誰が見てもイケメン美形で女子好きしやすい造形、ニゴは顔の造形ではなく雰囲気でイケメン(というのは語弊がありますがw)属性で男女とも取っつきやすい、みたいな。
市丸の「記号的に分かりやすいシルエットの割に顔のパーツが不明瞭」な感じはキャラ性と組み合わせた意図的なものなので、描きづらいと仰る方が多いのは「正解」なのかな、とも思ってますw(そしてこの作り方は、自分の普段の方法に近いです)。

他キャラにしても全体にそうですが、「自分がやらなかった、選択しなかった方法論」を意識的に採り入れるのは、難しいけど楽しいです。新しい発見もあるし。今でも記号部分に頼りすぎるのはどうかと思ってはいます。でも、伝達する方法論としては別に間違ってるわけじゃないし、使いどころとか取捨の問題だしなーと。

魔物の種族、外鬼に関してはもともと美形属性があるのですが、それ以上に「みんながどこか似た雰囲気」を心がけてます。その雰囲気は種族としてのものであり、血族というイメージ(実際に血のつながりがなくても)を強調してる…というか。そして、存在そのものの「解明されきらない何か」でもあるかなと。なんかよくわかんない、みたいな部分があって、それが共通で備わってる感じを出したいなーと。
……出るといいなぁと思いながら造形たり、描(書)いたりしています。いや、まぁ、絵的にはあんま描いてないですけど、まだw。


理想は高く、でも、出来ることからコツコツと。出来ることを着実に増やせたらいいなぁ。あんま自分を縛りすぎず、自由に、頑張っていきたいです。
そうしないと、描ける物も描けなくなってしまうので。


本当はもうちょっと考えていた事があるのですが、長くなったのでこの辺で。
もうひとつの話題は、改めて別記事に書きます。
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2007-2010. 刃の下に心 / 大村

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